なごちゅう。 -7ページ目

初恋は河童とともに去りぬ

お久しブリーフ、のび太です。


年末に向けて急激に忙しくなって更新ストップしました。

さすが師走。

恐るべし。


12月ってのは昔から言われているとおり、いろいろと立て込むものでして。

皆さんもいろいろと忙しくされているかと思います。

年賀状とか皆さんちゃんと25日までに出しましたか?


なんかCMで、


「年賀状の枚数は、大切に思う人の人数です」


みたいな心に響くキャッチフレーズが流れてたじゃないですか。

いやー、まぁ今年も大切に思う人は0人ってことになっちゃってる訳ですけど。まぁそれもまた趣深いですね。


それにしてもいつから年賀状出さなくなっちゃったかなー。って思い返してみると、そういえば年賀状の思い出が思い返されましたよ。



中学生の時に同級生にYさんっていう可愛らしい子がいたんですけどね。

12月の初旬のほうに、ある日突然


「年賀状出して」


とかなんとか言って、強引に住所の紙を渡されたことがあったんですよ。

君僕のこと好きなの?とかってストレート直球勝負!

したいのは山々だったんですけど、そこはお年頃。


そんな場面で直球勝負はリトルリーグの野球じゃないですか。


中学生といえば第二次成長期。

そろそろ直球勝負じゃなく変化球でせめてもいいんじゃないだろうか。

時にはそっけなく、時には引いてみることも重要じゃないだろうか。

でもセクロスのことしか思いつかない。


結局直球勝負で


「出すわ!」


とか言っちゃってました。

頭が残念な感じだったわけですけど、当時の僕は「どうやってナチュラルにコンドームを手に入れるか」でその残念な頭がより残念な感じになってました。


終業式も終わり、部活が始まったころです。

その「コンドーム問題」の一つの解決策として、「手に入れられないなら仕方ないんじゃないだろうか。なしで!」というある種の斬新な方法を思いついてしまったときのことでした。


部活に行ったら、天才オナニストのN君(記事参照 )が衝撃の一言を言ったんですよ。


「昨日駅前でYが男と歩いとったで!」


もうなんていうか、世の中終わった。


ベルリンの壁崩壊。

僕の中の青写真はビリッビリ100%ですよ。




でも、よくよく冷静になって考えると、Yから「付き合って」みたいなキーワードは一言もなかったわけで。

もしかして「全人類みんな大好き!イェーイ!」みたいなタイプの迷惑な人間なのかもしれない。


そう気づいてしまったんですよ。


そうなるとなんだか1人で「コンドーム!イェーイ!」みたいにはしゃいでた自分がもう死ぬほど恥ずかしくなってしまってですね。年賀状の代わりに不幸の手紙でも出してやろうかと考えたんですけどね。


まぁ僕の中の僅かな良心が、年賀状を書きなさいと、諭してくれたわけです。


でもやっつけ仕事的な感じでですね、Yの髪型がよく言えばボブ、悪く言えばおかっぱって感じのテクノカットだったものですから。


「今年もヨロシクね」


と、河童が一言喋っているTHEシンプルな年賀状を出したわけです。

今になって考えると、ある種の不幸の手紙のようなまがまがしいものだったかもしれない。




そうして、自分が河童の年賀状を出したことすら忘れかけていた1月1日。


おそらく僕が手間をかけた時間の数倍、数十倍時間を使ったんじゃないだろうかという年賀状がYから送りつけられてきました。

よくは覚えてないんですけど


「今年は仲良くなって色んなところに遊びに行けたらいいな」


みたいな、ロリータの心臓をゆさぶるような甘い言葉が書いてありました。


もうこんなの100発1000中本命ですよ。

ですが、当の本人である僕は、ある意味で心臓をゆさぶられていました。


河童はあかんかったやろ。


当時はケータイなんて持ってないですし、向こうの電話番号も知らないんで連絡が取れずそのまま冬休みが終わりました。



迎えた始業式。

河童と一言も喋ることもなく、まるで年賀状とかそういうものが最初からなかったかのようでした。

今思い返すと甘酸っぱい青春の、消し去りたい思い出の一つです。




別にその思い出がトラウマになっているわけでもないんですけど、気づいたら年賀状を出さなくなりましたね。

それでも僕も来年からは社会人なわけですから、そろそろ年賀状もしっかり書こうかなと。


きっと来年は。


そう思ったりもする訳です。



まぁ、去年もそんな感じで決意して書かなかったので書かないと思いますが。

そろそろ大掃除をがんばります。でわ。

じゃぱにずむ白書

外国人の喋る日本語は何故あんなにも悲しいのだろう。

僕は常々そう思います。


いや、そもそも悲しい、という表現が適切なのか分かりませんが、それでも耳から入っていったんその独特の日本語の響きを感じるときに、悲しさに似た何かがあるのです。


先日のことです。


僕はバイト先の友人と焼肉に行くために夜の繁華街を歩いてたんですよ。

そこが、もうホント、性の解放区みたいな場所でして。


三歩歩くごとに呼び込みの外国人にエンカウントするんですよ。

その性のフリーダムスペースではですね。


中国人でもないのに、


「オッパイ、オッパイアルヨ」


とか言ってくるヒゲがビンラディンみたいな中東系のダンディと


「オニサン、70分3000エン」


とか言ってくる、トムヤンクンしか食べてなさそうなアジアンが交互にスクリーンアウトをかけてくるんですよ。ホント安いわ!ビックリする!



じゃなくて、えっとそうそう。

なんだかそういう呼び込みもそうなんですけどね、悲しいんですよ。なんだか。



僕の頭の中身が少々痛み気味なせいかもしれませんけど、この悲しみは特に、熱心に喋られると特に悲しい。


なんだかテレビで10代が真剣にしゃぶりあいましょう、じゃなかった。

喋りあいましょうとか言って、教育テレビとかで持論を展開する若者のバラエティをやってるじゃないですか。

ホントあれを放送するくらいだったら、よっぽど性教育の番組流してエイズの怖さとかを放送したほうがいいと思うんですけど、とにかくそれは置いておいて。

それ系の番組でアジアのどっかから日本に来てる留学生の人とかが熱心に何か喋ってるのを見かけるじゃないですか。


「ワタシハ、日本キテ、ホントビックリシタ。

ナンデ、ミンナ、外デkissスルノ嫌ガル?」


とか何とか、kissの発音だけが余りに上手くて、逆にこっちがビックリするわ。って言いたくなるような人が時々いるんですよ。


そういう人が持論を展開し始めてですね、だんだんと熱が入ってくるじゃないですか。

そうするとなんだか僕の腐った脳みそでは、その言葉の意味を理解するよりも、悲しさを感じることにエネルギーを使ってる気がするんですよね。



僕は別に、外国の人の話す日本語は下手糞だ!とか言いたいわけではないんです。

逆に、日本でしか通用しない日本語をわざわざ勉強して、日本の文化に触れたいって思うその姿にある種の尊敬さえ感じてしまうんですがね。


それでも、心の奥底の、そのまた奥底の。

例えば初めてオナニーしたときのあの不思議な気持ちとか、そういう心の奥底の「僕のきもちぼっくす」みたいな部分があるとすれば、そこにそっとしまってある「外国人の話す日本語への目線」みたいなものがあるんですよ。



その「僕の気持ちぼっくす」の中では、

一段目に


大阪弁 広島弁 名古屋弁


とか、そういった色んな言葉が同じ高さに整頓されているんです。

でも、


外国人が喋る日本語


はその二段くらい下の三段目の引き出しに入ってるんですよ(図参照)。



名古屋の中心で愛を叫ぶ☆ ~性少年の健全な日々の記録~-僕のきもちぼっくす




本当は、どの言葉も同じであって然るべき。意味が分かればそれで十分じゃないかと。

理性ではそう思ってるんですけどね。

感性では、ちょっと違うんです。悲しいことに。






実は僕の研究室に、台湾からの留学生の子がいるんですよ。

W君という、整った顔立ちをした礼儀正しい子なんですけどね。


なかなか日本語が上手で、ご飯を一緒に食べたりするんです。

でも、やっぱり上手いとはいえそこは「外国人の話す日本語」なわけで。

研究室の同期とはいえ、彼が熱心に話すたびにその内容とは別のところで、どこか悲しさが引っかかっていたんですよ。


そこで、ある日W君にちょっと提案してみたんですよ。


「サークルとか入ったら日本人の友達いっぱいできて、日本語ももっと上手くなるよ。」


「アー。サークルガ、ヨクワカンナイダケド、ソレドウヤル?」


それで、何か適当な軽いサークルに入ることを進めてみたんです。


W君は結構ノリノリで、「ヤル!僕ソレヤル!」って言ってくれてですね。

W君がやる気出してくれて僕も嬉しいよ、そういうやる気満々な姿を日本語では「ヤリマン」って言うんだよ。ってまた一つ彼に嘘を教えて、それでW君は「ヤリマン」な様子でサークル探しに奔走しました。



どうやら彼は何かのサークルに入ったらしくてですね。

それからだんだんと、そのサークルに染まってきたのか。

髪は茶髪になるわ、メガネからコンタクトになるわ、身なりは整えるわで、完全に垢抜けてました。


それでも、まだ日本語はたどたどしくてですね。


「僕ヤリマン」


なんてニコニコしながら言われて、僕はなんだかホッとしたような、悲しいような気分になったんですよ。


W君、垢抜けても日本語はまだまだやな。なんて思ってたら、今日のことですよ。

夜学食に行ったらですね。


W君がサークルの友達とおぼしき方々と楽しそうにご飯を食べてるじゃないですか。



W君と女の子8人ぐらい。



えっと、それ何てハーレム?

女の子もキャッキャとか言って凄く楽しそうに、ホント窓から一人ずつ投げ飛ばしたくなるくらいに、笑ってました。



重要なのは、誰が喋るかじゃないんだ。

本当に重要なのは、何を喋るか、内容そのものなんだ。

意味が分かれば誰が喋ったって同じなんだ。

外国人でも、日本人でも、面白い話をすればそれで場は盛り上がるし。つまらない話は誰が喋ってもつまらない。


そんな簡単なことになんで僕は今まで気がつかなかったんだろう。


そう思いながら、僕は研究室の人たちと男4人で、トグロ弟はB級妖怪だけど60%の実力で3分でビルを平らにできるんだぜ!とかいって、凄くなんだか惨めな感じでご飯を食べたのでした。




こうして、僕の将来の夢は、英語を勉強して「幽遊白書」の面白さを外国人に伝えることになりました。


W君、僕もヤリマンで頑張るよ。

キ ツ エ ン

芸術というのは奥が深いものです。



例えば俳句を例にとってみましょう。

我々の日常のふとした瞬間を、言葉で言い表すことっていうのは実は凄く難しいものでして。

読んだ俳句がスッと頭の中に入ってきて、そのイメージがパッと思い浮かぶものが、万人の共感を得るわけです。


日常の安っぽさや薄っぺらさと、イメージのしにくさを上手くバランスさせながら完成した歌が、きっと琴線を響かせ、後世に語り継がれていくのだろうと思います。



いやはや、冒頭でも唐突にいいましたが、やはり芸術とは難しいものです。





そんなことは重々承知なわけですが、芸術の秋に特にコレといった活動もできなかったわけですし。

遅ればせながら、僕も一句詠んでみることにします。







いへんだ


んどうえいじの


づくりせんげん




そういう訳で、今日は煙草のお話です。


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Wii fitとかヘルシオとか「健康ブーム」が加熱する現代社会において、煙草は悪の象徴になりつつあります。



「煙草を吸う人は目が死んでる。魚みたい。(20代女性/OL)」

「煙を好んで吸うことが信じられない。魚みたい。(40代男性/会社役員)」

「わざわざお金を払って健康害するなんて、頭がいいとはとても言えない。魚みたい。(10代男性/学生)」



と、避難の的にされているのをよく目にします。




きっといつの日か、煙草=悪みたいな図式が完全にできあがってしまってですね。



非喫煙者からなる連邦軍 vs 喫煙者からなるジオン軍



みたいなガンダムよろしくな世界が到来してしまうんじゃないかと。




節子「お兄ちゃん…今日も、空襲あるかな。」



清太「今日はないよ。せやから安心して眠り。」



節子「お兄ちゃん…ウチ、おなか減った。」



清太「節子?お前何をたべとるん?口あけて見せてみ。」



節子「…ドロップ。」



清太「節子、それドロップやない。たばこや。」




そんな悲しい兄弟の物語が生まれてしまうんじゃないかと。

そう考えると僕は心配で夜も寝られません。




なので今日は、そういった世界が到来することを一日でも、一時間でも遅らせるためにですね。



煙草って実はこんな良い面があるんですよ。

煙草を吸うとこんなに凄いんですよ。



っていうことをこのブログでかなりネジれた観点から検証しようと思います。






検証①



アナタはそこそこの会社に就職し、そこそこの業績で不自由ない生活を送っておりました。

ところがある日、ちょっとしたミスが大きな損失を出してしまい、クビになってしまったのです。


「これからどう生きていけばいいんだ…。」


失意のアナタは、気付いたら山奥の泉の前に。


「いっそ死んでしまおう。」


でもその前に最後の一服を。

とタバコを出すと、うっかりタバコはポトリと泉の中へ。

するとあら不思議、泉からスケスケの女性が。


「アナタが落としたのはこの金のタバコですか?それとも銀のタバコですか?」


金のタバコだって!?

なんてこった。そんなものがあったら、人生やり直せるじゃないか。


アナタの中の良心(待って!ここの答えはそうじゃない!もっと別のところにあるんだよ!!)

「いえ、私が落としたのはアナタのハートです。」


ずっきゅーん


こうしてアナタは金のタバコも銀のタバコも吸い放題。

ついでにスケスケ姉さんのパイオツも吸い放題なんていう最高の人生を手に入れました。

え?場所はどこかって?それはこの「煙草の吸い方(税込み\39,800-)」を読んでみて下さい。さあ、アナタも最高の人生を。




といった広告を、何かの雑誌の広告欄に投稿して、ぼろい商売で一儲けできる。









検証②



今年もクリスマスを目前にしながらも、キリスト教徒でもなければ、恋人もいないアナタ。

クリスマスなんてなくなりますようにとサンタさんにお願いをしながら、他人の家のポストに犬のうんちを投函するのがアナタの毎年のクリスマスの過ごし方でした。


今年も、去年と同じように12/24日の朝が訪れました。


「今年もきやがったか」


そうつぶやいて、ランニングを始めるアナタ。

颯爽と他人の家のポストに犬のうんちを投函していきます。


「サンタさん、クリスマスはまだ、なくならないのかい?」


ぶつぶつと同じことを呟きながら走るアナタ。

完全に変質者です。


「今年はこれくらいにしておくか。」


一汗かいてさっぱりした気分でアナタは家に帰りました。

するとあら不思議、家が燃えています。




煙草の不始末が原因ですね。と、一段落した消防隊員に告げられるアナタ。

あまりのショックに言葉が上手くでてきません。


やっとの思いで、ひねり出した言葉は、懺悔の言葉でした。


「サンタさん…もっとまっとうに生きるよ。気付かせてくれてありがとう。」



そうしてアナタは、犬のうんちの代わりに「火の用心」と書かれたビラをポストに投函するように。

家を失いながらも、他人に炎の恐ろしさを説くその姿がたたえられ、アナタは全国の防災セミナーに引っ張りだこ。


そうして出版した自叙伝「犬のうんちと火の用心」は大ベストセラーとなり、映画化へ。


気付いたら主演の女優と性的なチョメチョメで、煙草を入れたり出したりするプレイを開発し、AV男優の道へ。

『ゴールデンシガレット』の名を欲しいままに。


そして迎えた最期のクリスマス。

アナタは病床からそっと呟くのです。


「サンタさん、あの時気付かせてくれてありがとう。」



まぁ、そんな日はきっと訪れないと思うけれども、それでも火の始末に対する注意は喚起されていいと思います。






検証③




歯が黄色くなる。




検証④


もう思いつかないのだけれども、コーヒーと煙草って相性いいよね。






まぁとにかく①~④で割と煙草に対する見方も変わったんじゃないかと思います。


先日亡くなってしまわれましたが、筑紫哲也さんもこうおっしゃっておりました。




「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。
(たばこは)人類が発明した偉大な文化であり、たばこの代わりはありませんよ。
これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」





今日の内容を読んで、煙草=悪っていうイメージを少しでも払拭できたなら、僕の文章も少しは喫煙社会に貢献したかなと思います。







まぁでも体に悪いのは100%疑いようのない事実なわけでして。


先日僕も体調を壊して病院に行ったらですね。




医者「煙草やめなさい」



僕「はい」




なんていう煙草=悪の見方に屈して、今は既に非喫煙者の連邦軍です。

いやーやっぱり煙草はいかんね。ってことが、今日のまとめな訳です。

内容全然関係ねぇ!

思い出のパンツライス②

おひさしブリーフ、のび太です。

今日はパンツと炊飯器のお話の続きです。

ごゆっくりお楽しみください。


●前回(思い出のパンツライス① )のお話●


期待に胸を膨らませ、妄想に股間を膨らませていたその青年は絶望していた。


「なんてこった、銀行口座の残高が…」



僕の生きた道


「ちくしょう、こんな姿になりやがって。そんな低空飛行してるから、ガス会社から『引き落とし不能通知』なんて打たれちまってよぉ。ちくしょう、ちくしょう…。…ゴメンな。」


青年は決定的にお金を持っていなかった。

しかし、財布の中身も、預金口座も空っぽだったが、青年は満足していた。


彼には友達ができたからだ。


「俺にはこんなに沢山の友達がいる。悲しいことなんて何もない。」


そう思いながら、こみ上げる何かを抑えながら、割と毎晩ふりかけご飯(単品)を食べていたものだった。

しかし、その青年も困っていたことが一つあった。


彼は洗濯機を持っていなかったのだ。

「衣服を洗う」ただそれだけの単純なことは、彼を大いに苦悩させた。



そんな折、彼の一人の友人がある驚くべき発言をしたのだった。



「炊飯器で、パンツ、洗えるよ。」



錯綜する思い。

繋がる点(炊飯器)と点(パンツ)。

全ての謎が今、解き明かされようとしている。じっちゃんの名にかけて!!



------------------------------続き-------------------------------


何度も言うようですけど、炊飯器っていうのは米を炊くものなわけで。

それでパンツを洗おう!なんて発想はもうキテレツの発明をしのぐほどの次元を超えた発想なんですよ。


いやいや、そんな荒業ができるわけないだろと、大体それなら炊飯器に「パンツ(やわらか仕上がり)」とかってボタンがついててもいいじゃないかと。

僕は笑って聞き流そうとしました。



しかし、ここで冷静になってみた。


よくドキュメンタリーとかで成功者とかが言ってるじゃないですか。


「上司にそのテーマを与えられたときは正直、最初は愕然としましたね。

でも、今思い返してみるとあのとき諦めずに正面からぶつかったのがよかったのかな、と。そう思います。えぇ。」


確かに常識的に考えて、炊飯器でパンツなんて洗えそうにない。

でも、それは今まで誰もやろうとしなかったからじゃないか。

常識にとらわれてしまって、重要なことを見落としているんじゃないだろうか。



僕は笑うのをやめました。



「僕は、炊飯器でパンツを洗うパイオニアになるんや。」



いつの間にかそう考えていた。

今思い返してみるとあのときの思考回路はショート寸前だったんだと思う。





しんと静まり返った部屋の中で、僕は炊飯器に向き合いました。

右手には真っ赤な鹿島アントラーズのパンツを握っておりました。


そのパンツに目を落とすとですね、鹿島アントラーズの鹿が悲しそうな目で僕を見ているんですよ。


「これで洗うのかい?」


みたいな。


なんて悲しそうな目!

そんな目で俺を見ないで!


「本当に、洗うのかい?」


あぁ…。

…すまない。俺が悪かったよ。

そうだよな。

これは炊飯器。米を炊くもの。

お前は鹿島パンツ。

米じゃ、ないよな。

すまない。


気づいたら、それ100%勇気!って感じで、チョロチョロと水を入れまして、パンツを放り込んでいました。


もうやりきるしーかないさーとか、歌詞とは裏腹な感じで、半分投げやりな感じでスイッチを入れました。






ドキドキしながら待つこと十数分。


炊飯器がシュンシュンと白い蒸気を立ち上げ始めました。


あぁ、とうとう始まりやがった。

こうなることを期待してスイッチを入れたわけなんですがね。いざ始まると不安感があおられるといいましょうか。

炊飯器の蒸気を眺めていると、僕の中の期待感かと不安感が入り混じった不思議な感情になりまして。あぁ、今炊飯器の中では僕のパン





ていうか…ゴム臭っっ!!


なにコレ!?

臭っ!


異臭テロみたいな感じで耐え難いゴム臭が部屋中に充満しました。


なんかもう、耐えられません。

あと5分くらい我慢したら終わるんですけど、炊飯器が終わるのが先か、それとも僕の正気が失われるのが先かって感じだったので、ゲームセット目前でギブアップ。


炊飯器のフタを開けました。






赤い。






鹿島の赤が湯に溶け込んで、炊飯器の中が真っ赤なんです。

いうなれば地獄。


血の池地獄ですよ、これは。


血の池地獄

血の池地獄にたたずむ、十数分前は鹿島アントラーズのパンツだった布。


僕はこんなに悲しい現実が果たしてこの平成の世の中にあるのかと。

炊飯器の中を見ながら愕然としました。



鹿は僕に悲しそうに語りかけてきました。


「また一つ、勉強になったな。」


鹿!

ごめんな。

ワシ、アホじゃけぇ。

こうなるって分からんかったわ。

ごめんな。


「人は、何かを犠牲にして大人になっていくんだ。今日という日を忘れないで。」




炊飯器でパンツを洗ってはいけない。

やはり、炊飯器は米を炊いてしかるべきものなんだ。


そう思いながら、僕はうっすらと涙を浮かべながら釜を洗いました。


大人の階段を上った一日でした。

白薔薇

ご無沙汰しております。
田代です。



とかっていうじゃないですか。

でもね。よくよく考えてみるとコレっておかしいと思うんですよ。

国語辞書で引くと、


無沙汰【名】長い間訪問や音信をしないこと。


って書いてあるんですよ。
つまりですよ、冒頭のフレーズは言い換えれば



しばらく連絡しないままでおります。
田代です。



どんな失踪か。


例えばですよ、田舎のおばあちゃんにケータイをプレゼントした心優しい青年がですね。
久しぶりにおばあちゃんから何を間違ったのか。



しばらく連絡しないままでおります。
祖母です。



なんてメールがきたら、これはもう一家総出の一大事に発展ですよ。
まぁそういう訳で、ご無沙汰しておりますっていうフレーズの謎を考えてたらですね。



気付いたら3ヶ月たってる\(^o^)/


ご無沙汰しております。
野比です。


いやー、なんというかですね。
ある意味失踪に近いニュアンスでご無沙汰しておりました。
ご心配をおかけいたしました。


一回更新を怠ると、なんというか次にどんなタイミングで書き出していいかわからなるんですよね。
「あ、顔は知ってるけどそんなに親しくない。気付かないフリでやり過ごすか」ってスルーするとですね、二回目以降も気まずくなってスルーするようなもんです。


ホント気まずい。


まぁそんな話はおいておいて、とりあえずまたしばらくシコシコと更新していきます。

年末までに10回更新する!

ってことを今年の目標とします。


それでは今日は、先日出張ついでに実家に帰ったときのお話です。
まぁリハビリって感じで。


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この間実家に帰ったら、おじいちゃんのボケがますます進行してたんですよ。


僕が小さい頃はね、それこそ毎日畑に行ったり、どっかで仕事を見つけてふらふら仕事に行ったりとアグレッシブなじいちゃんだったんですけどね。
小さなことでも気に入らなければすぐに癇癪起こすわ。
やたらとモノを壊すわで、キレたじいちゃんほど怖いものはないってよく思ったものでした。


それが、この間出張ついでに実家に帰ったらですよ。
目と目があって、開口一番。


「アイシテル」


じゃなかった。


「あんたは誰ですかいね?」


とか言っちゃってる、ちょっとイっちゃってるわけでして。
なんだかとても悲しかったです。いやホントに。


前々からボケてたけど、ちょっとそのボケっぷりがエスカレートしてるんですよ。
ドラゴンボール的にいえばセルの第二形態から第三形態に変化したくらいにエスカレートしてるっていえば分かりやすいと思うんですけどね。


ホントはんぱない。


衝撃的だったのが、この前パトカーに乗って帰宅したらしいんですよ。道が分からなくて。
そういう話は一般的に聞くじゃないですか。
身内がボケて警察の人に送ってもらったって。


でもちょっと一般的じゃないのがね、おじいちゃんはなんか手土産を持って帰ってきたらしいんですよ。



白いバラの花を一輪持っていたそうです。


そんな花を買ってパトカーで帰るなんてね、なんだかちょっとハイソじゃないですか。


「頭はボケても、心は錦」


みたいな、ちょっと現代の高齢化社会の中の美談めいたものを感じるじゃないですか。

僕はここまで聞いて、おじいちゃんが凄く誇らしくなってきちゃいましてね。
うちのじいちゃんはボケてもじいちゃんだ!

なんてちょっとテンションも上がったりしたんですけどね。

そしたら母親が


「よく見ると根っこがついてたんよ。」


引 っ こ 抜 い て き た !



どこぞやの庭先から白バラを失敬してパトカーでご帰宅なんてね、なんだかちょっと間違えれば逮捕劇じゃないですか。

それでじいちゃんに「それどーしたんよ」とかって聞いたらですね。



「分からん。綺麗じゃろう。」



竹原か。


いやいや、流石にこれはまずいやろって感じだったんですけどね。
結局近所の引っこ抜かれたおばさんが許してくれて丸く収まりました。


まぁ笑い話で書いたわけですけど、ボケるってのはそんな軽い問題じゃない!って怒られるかもしれません。


大切なことを忘れる。
大切なことを忘れられる。


ってのは、やっぱり身近にいる人間としても悲しいものがあるわけですからね。
でもそうなったときに、その人を、その事実をどう受け入れますか?って自分で考えたらですね。


やっぱり笑って受け入れたいなと。
じいちゃんがもっとボケてもですね、ボケた話も笑い話にできるようなそんな心の持ちようでありたいと思ったりするわけです。


そして仮に自分がボケても、じいちゃんみたいに「白いバラが綺麗だ」といえるような。
そんな風にボケたいな、と。
それでお久しブリーフとか言ってる孫にブログでいじられたいな、と。



じいちゃん、アンタ、カッコいいよ。



そんなことを気付かせてもらいながら、僕は前回の帰省時と同様に自分の名前とじいちゃんとの関係を説明したのでした。


ありがとう、じいちゃん。


※死んでません。

ブルーアイズサバ

どうも皆さんおひさしブリーフ、のび太です。


にゃんこの手も借りたい!

てくらいにベリー忙しい最近でして、おパンツの話の続きをしなくてはと思いながら更新できない今日この頃です。


炊飯器とおパンツの話が書きたい!


この一文だけ抜くと、もう完全に変態の壁をあっさりと凌駕してしまっている気がするんですけどね。

僕がそういう風にもだえているときでさえ、

世のカップル共は、プールやら花火やら避暑地やらでおパンツをかぶったり、炊飯器おパンツプレイをたしなんでいるのかと思うと、気が気じゃないですよ。ホント。


するか!


最近ノリツッコミを覚えようと努力しています。






さてと。そういうわけで、今日はちょっと中継ぎ的なお話をして、ちょっとにゃんこでも探しに行くことにします。

割と可愛いにゃんこ希望で。

「ご主人様、手をお貸しするにゃん。」

とかそういうニュアンスで。


いるか!


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「人は見かけによらない」


恐らく、夜の繁華街で呼び込みやってる髪の毛がスーパーサイヤ人みたいな兄ちゃんやら、ゆとり教育で脳みそがスーパーカニミソってる将来有望な若者達でも、この言葉は知っているんじゃないかと思います。


見た目はあぁだけど、外見だけで判断しちゃいけない。

いい言葉です。


谷間があるからといって騙されてはいけない。最近のブラの高性能化に踊らされている。心奪われている。

天使のブラとか言ってるけど、全然天使なんかじゃない。通称テンナイ。

いい漫画です。


しかし、頭まではよく理解しているものの、なかなかこれって意識できないですよね。


「お兄さん!おっぱい!おっぱいどう!?」

呼び込みの兄ちゃんはやっぱり呼び込みの兄ちゃんだし。


「1192年…なんだっけーなんだっけー。…あ!イイクニ!イイクニ作ろう…アベ内閣?」

カニミソ坊主はやっぱりカニミソにしか見えないんですよね。




この間も、僕が学食に行ったときのことですよ。


僕の前に並んでたのが外国人二人組みでしてね。

Tシャツにジーパンで「HAHAHAHA」とかって笑ってやがるんですよ。

アメリカンジョークがツボにはまったのか、だんだんもの凄いオーバーリアクションになってきて、僕のサンダルをちょっと踏んだんですよね。

そしたら


「Sorry」


とかってクールに言われたんです。




「ごめんなさい」じゃなくて「Sorry」って言われて、「あぁ、このブルーアイズはもう全く日本語わかんねーのか。笑顔でお下劣な言葉を言ったら、きっと困りながらも『気にすんなって言ってくれてるんだろう』って理解してくれるんだろうな。よし、ここは一つお近づきのしるしに笑顔で『まんぐりがえし』って言ってみよう。」


それで「ま」の形に口をすぼめようとしたところで、そのブルーアイズが


「サバ。」


とかってサバ味噌を注文する始末。


分かるんじゃねぇか。

人はみかけによらない。


そういう感じで、「人は見かけによらない」っていうのを実感したわけですよ。



それで、その後そのブルーアイズの席の近くで飯食ってたら彼のケータイに電話がかかってきたんですよ。

そしたら


「もしもし。」


とかって電話に出る始末。



僕は彼を偏見という名のフィルター越しに見てしまっていました。

ひょっとすると、家に帰ったら「ただいまー」とか言いながらノリの利いた浴衣に袖を通して「夏は枝豆にルービーだよな、やっぱ」とか言ってキュっと一杯やってるのかもしれません。

それどころか、可愛い黒髪の彼女に「ポコチンがコリモツだよー。」とか言いながら、テトリスじゃなかったセクロスを迫っているかもしれません。



人は見かけによらない。


浅い付き合いだけでは、その人の本当の姿を知ることは到底できません。


あの人ちょっと苦手

あの人嫌い

あの人ワキ臭そう


とか何とか言ってちょっと苦手な人も、毛嫌いせずにもう少し踏み込んで「あ、この人実はこういう一面があったんだ!」「え、凄い!臭いのはワキだけじゃないんだ!」みたいに本質を知って、そこからまた一歩踏み込んだ付き合いができるようになるといいですよね。



さて、明後日からちょっとだけ海外出張に行ってきます。

また無事に帰ってきたら、おパンツとか炊飯器とかファッキンイングリッシュなお話を書ければと思います。


グッバイ日本!

思い出のパンツライス①

僕が一人暮らしを初めて間もない頃でした。

当時僕は尋常じゃないくらいお金が無くかったんですよ。

あと、友達がいなかった。


学校で孤独を味わって、家に帰ってふりかけを味わう。


今思い出してもちょっと涙腺を刺激されるような、暗黒な大学生活の幕開けでした。



一人暮らしってのは、するまでは非常にテンションがあがるものでして。

家を出て、新幹線に揺られている間中。


「なんてこった!!オ○ニーし放題じゃねぇかコリャ!!」


って思ってた。

それどころか


「おねーちゃん家に連れ込んでテトリスとかセクロスとか、好きなことできるじゃねぇか!!革命だ!!」


とか思ってた。


まぁとにかく、僕のイメージでは「一人暮らし」ってのは限りなくピンク色だったわけです。

それがフタをあけてびっくり。


なんていうか黒い。灰色。家帰りたい。


僕の思い描いていた桃源郷は、300万光年先のM78星雲とかにしかないってことを知りました。




一人暮らしの何が辛かったかというと、まぁなんていうか何もないことなんですよね。


テレビ、冷蔵庫、洗濯機


といった、現代社会で生活するうえで必須ともいえる三種の神器が金欠を理由になかった。

ある意味昭和初期の一般家庭よりも、原始的な生活をしていたかもしれない。


六畳しかない空間が、やけに広く感じられたものです。

その広さをかみ締めながら、我が家にあった数少ない家電製品の炊飯器でご飯を炊いて、ふりかけをかけて食べたものでした。



部屋の真ん中でシュンシュンと湯気を出す炊飯器。


その傍らでシュンシュンと鼻をすする僕。




暗い!!

でもそれが現実だった訳です。


おねーちゃんとかこやしねぇ。テトリスさえあればまた話は違ったかもしれませんが、テレビないしね。





でも、そんな生活で一番厳しかったのが実は洗濯でした。

洗濯機がないのは理由があってですね。


アパートの管理会社の人に


「ここ、洗濯機おけないから。」


とかホントもう意味がわからないことを告げられて斡旋されたところだったんですよ。

ホント言ってることが訳わからなさ過ぎて、最初その人アジアの方から連れてこられた人かと思った。


「まぁなんとかやります。」


とか、何にも考えずにうんうん首振ってたのがまずかった。将来絶対壺とか買うわ、この若者。とか思われたかもしれない。ホント僕もそう思う。

住み始めて分かったんですけど、本当に洗濯機を置くところがないんですよ。


風呂場はユニットバスで置くスペースないし。

ベランダも雨さらしで洗濯機とか置いたら壊れるし。


それで泣く泣くコインランドリーで洗濯をしていたわけです。




でも、実際アレも結構お金かかるんですよね。

ふりかけを泣く泣く食べてる生活水準の人がコインランドリーで洗濯とか、何か間違っていると思いませんか?

僕はそう思う。

断固そう思う。

せめてパンティーとか、100歩譲ってブラがコインランドリーの洗濯機の中に残ってて。「あ、どうしよう。」とかって悩んでたら、風呂上りで湯気をホカホカさせてる女の子が走りこんできて。「すいませんっ!」とかって頬を赤らめながらその下着を回収して。「いやー。洗濯する前で良かったですよ。」「恥ずかしいーっ!恥ずかし乙女!」とかってやり取りがあって。その後、二人はすっかり息があってしまって。「…あの。私、下宿始めてまだあんまり友達いなくて暇なんですよね。この後、野比さん、暇じゃない…かな?」「凄く暇。一緒にテトリスやろう。」とかってやり取りが繰り広げられない限り、間違っていると思う。


まぁ基本的にそういう妄想とか、社会に対する憤りとか、自分のふがいなさとか、そろそろふりかけにも飽きたなっていう思いを抱いて大学生活をENJOYしていました。

頭がアレでした。



しかし、明けない夜はないとでもいいましょうか、僕の暗黒な大学生活の中でも1人、また1人と友達ができていったんですよね。


持つべきものは心の友だ!って劇場版のドラえもんでジャイアンがよく言ってますけど、これは本当で。

優しい友達にご飯をおごってもらったり、ある友達にはご飯を作ってもらったり、またある友達には我が家の体重計を米と交換してもらったりと、身の回りの友達に助けられて当時の僕は生きながらえることができました。


ありがとう、N君(体重計と米をトレードしてくれた友達)


そんな友達の愛情に支えられて生きていた僕だったんですけどね、唯一変わらない、改善されない悩みがあったんですよ。




洗濯です。




こればっかりはどうしようもなかった。

友達に大工とかいたら話はまた違ったかもしれませんけど、ちょっとそれは厳しいものがありました。


結局コインランドリーかぁー。


まぁ、食生活はだいぶ良くなったし。贅沢は言えないんですけどね。

それでも、話の種にある日友達にこの話をしてみたんですよ。なんかいい方法ないかなと。

そしたら、その友達が一言いったんです。



「炊飯器で、パンツ洗えるよ。」



ちょっと待ってほしい。

管理会社の「洗濯機おけませんから」とかとはもう次元が違うレベルで言っている意味が分からない。宇宙人かお前は。

僕の理解としてはですね、炊飯器っていう家電製品は米を炊くものなんですよ。

「飯を炊く器」って、もう字そのままじゃないですか。

どこにもパンツって入ってない。


僕をからかっているのかと、ハメて馬鹿にして笑ってやろうと思ってるのかと疑ったんですけどね。

その子は育ちのよさそうな女の子で、どうにもそういうきな臭い怪しい感じもない。


純粋な、小鳥のような目で言ってくるんですよ。



「洗えるよ、パンツ。炊飯器で。」



世の中には、解明されていない未知の領域が多く存在します。

知られていない情報を紹介するだけでひとつのテレビ番組を作ることができるくらいですから、他人は知ってるけど、自分は知らないってことは案外多いのかもしれない。


だとすると、一見相反する「パンツ」と「炊飯器」も何らかの接点を持っているかもしれない。


僕の中で、「パンツ」と「炊飯器」という点と点が線になった瞬間でした。



「ちょっと、やってみるわ。」










))長くなったので次回に続く。


※念のため言っておきますが、この記事を読んで「炊飯器でパンツを洗ってみよう」と考えてしまった人は、悪いことは言いませんからとりあえず次回更新時まで待って、そこで吟味してから思う存分トライしてください。以上!

明日はホームラン

こんばんわ。真夜中の代弁者のび太です。


夏も盛りですね。

夏バテで食生活も乱れがちになる季節ですが、皆さん気をつけてくださいね。


「私は大丈夫!ソーメンと冷麦をバランスよく食べてます!」


っていう人は、もう頭が手遅れっぽいのでとりあえず病院いってみましょうね。





ところで、そんな食生活が乱れる大きな要因の一つに、やっぱりこの時期ならではの間食があると思うんですよ。


アイスです。


甘くとろけるあの味!あの食感!

暑さで汗ばむ体を、ひんやりと冷やしてくれる魅惑の嗜好品です。


日本全国でも、アイスが嫌いだって人もなかなかいないんじゃないかと思います。

そんな中でも特に、とりわけアイスが大好物だっていうカテゴリーの人々がいるんですよね。


かの有名な松尾芭蕉も、次のように一句詠んだそうです。


古池や 太った体と 氷菓子


この一句の織り成す意味は

「あぁ、ほら御覧なさい。古池で泳いでいる子供達だ。蝉の鳴き声と相まって、子供達のはしゃぐ声はなんとも夏を感じさせる。おや?古池で泳がずにいる子供が一人。あぁ、氷菓子を食べてる子供だ。うむ、やっぱり太ってる。


まぁ、ちょっと間違って覚えてるかもしれませんけど、とにかく太った人はアイスが好きだってことです。



僕は太ってはいませんけどね、アイスが大好きなんですよ。


アイスの「ホームランバー」ってあるじゃないですか。

アイスの中でも安い安いアイスなんですけどね。アレが好きです。

それをこの間学校の購買部で偶然見かけたんですよ。

アレってまだ売ってたんですねー。


それこそ僕が小さい頃の話です。


うちはそんなに裕福な家ではなかったんですけどね。

夏休みの日曜日に、昼過ぎになると母親が「アイス買ってきな」って感じで僕に数十円だったか百円だったか渡してくれてたんですよ。


僕はもらった小銭を握り締めて、大車輪の勢いでアイスを買いに行ったものでした。


近所に「ミヨシ」っていう、ちびまるこちゃんに出てくるような駄菓子屋っぽい店があったんですけどね。

普段はそこのアイスを入れてある保冷庫の中に手を突っ込んで涼を取る、悲しい日常を送る夏休みだったんですけど、日曜日の僕だけは違った。


「この、ずらりと並んだ氷菓子を僕は選ぶことができるんだ!」


そのときの無限の可能性といったらないですよ。



自分の未来が、希望が、この保冷庫につまっている!



つまっているのはアイスなんですけど、僕には確かにそう見えた。

そういっても過言ではないほど、夏休みの日曜日の僕は「ミヨシ」で打ち震えていたものでした。





一週間に一度のチャンスだから、失敗は許されない。

ヘタに選択を誤ると、一生後悔するぞ。


慎重に…慎重に選ぶんだ…。




そう思いながら、気付いたら毎回ホームランバーを会計している日曜日の「ミヨシ」の僕でした。

そして「ミヨシ」を出て毎回後悔するんですよね。



ホント頭悪かった。



悩んだ挙句、「当たり付き」に騙されて製菓会社の思う壺ですよ。

「ゲヘヘ。当たり付きって書いておけば、世間の子供は騙されて買ってしまうに違いない。」


もうドンピシャ。


あのハズレ棒と分かったときの毎週の悲しみを、僕は今でも忘れません。





しかし、言うなれば、あのホームランバーがあったからこそ


「社会は自分の思っているほど甘くない。このホームランバーは甘いけど、中に隠れた棒はもっと辛い現実を表しているんだ。…そうか!これが僕達の住む世界!分かったぞ、ホームランバーは社会を暗喩しているのか!ありがとう!ホームランバー!!」


と思うことができました。


つまり、ホームランバーは一見するとただのラクトアイスですが、

その本質は子供に「夢と現実のギャップを教える日本の伝統的氷菓子」であるのではないかと僕は思うのです。





あの日、あの時買った一本のホームランバー。

あのホームランバー一本が、今の僕を形作っているのではないか。


今の僕があるのは、日曜日に小銭を握らせてくれた母親と、あの「ミヨシ」のホームランバーがあったからなんだ。





学校の購買でホームランバーを見かけて、そんなことを思っていたらついつい


「久しぶりに、一本買ってみるか。」


って思って買っちゃいましたよ。


やっぱり例の如く、棒は何も書いてなくてハズレだったんですけどね。

懐かしい味は、幼い日の思い出を僕に思い返させてくれました。



焼けたアスファルトと、プールの塩素の匂い。

タンスにかかったラジオ体操カード。


うだるような最近の暑さですけど、ホームランバーのハズレ棒を見ていると

その暑さもどこか懐かしいような、何故か心地よいような。


そんな気がしました。









「まぁまた買ってみるか。」


そう思いながら、クーラーの効いた研究室に逃げ戻るとですね。




僕の席の隣に座っているN君(推定体重120㌔)が、懐かしい思い出で顔がにやついている僕に向かって、嬉々とした表情で言ってきたんですよ。


「今日ホームランバー売ってたから、3本買っちゃったよ。1本当たったー。」


ホント、紐で縛ってチャーシューにしてやろうかと思った





先の芭蕉の一句に下の句をつけるとしたらですね。


古池や 太った体と 氷菓子 揺れる脂肪と 薫るチャーシュー


「あぁ、ほら御覧なさい。古池で泳いでいる子供達だ。蝉の鳴き声と相まって、子供達のはしゃぐ声はなんとも夏を感じさせる。おや?古池で泳がずにいる子供が一人。あぁ、氷菓子を食べてる子供だ。うむ、やっぱり太ってる。うん?どうやら当たり棒が出たようだ。クソっ!チャーシューにしてやる!無駄に太りやがって!」




この夏中にホームランバーで当たりを出すことが、僕の今年の夏の目標になった一日でした。

透ける美学と女子高生

森山直太郎っているじゃないですか。


ぶぉぉぉくぅぅらぁうあー。って唄う人。


唐突ですけど、あの人が昔すごく好きだったんですよ。

初めてあの歌声を聴いたときは衝撃を受けたものです。

切なさと、甘酸っぱさと、力強さとかあと色んなモノ混ぜたみたいなあの歌声。


凄い!


言うなれば、秋の夕暮れの中に佇む俺とお前と田代。みたいな、そういう心の中のえもいわれぬ部分をくすぐられるような。

そのときの僕の内面を吐露すれば、そんな位置づけだったんです。

衝撃ですよね。


最初はラジオとかで聴いてただけだったんですよ。

でも聴いてると欲しくなるっていうか。

手元にないと不安になるっていうか。


「聴きたいときに、お前の声が聴けない」


みたいな、イケメンというか、頭の中身がカニミソみたいな人が言いそうな感情が芽生えてしまってですね。

ホントこの文章書いてるだけで自分が死ぬほど恥ずかしい。消えたい。


とにかく近所のCDショップで買おうとしたんですよ。


そしたら

【夕暮れの代弁者・森山直太郎】

とか書いてある。


「なんてこった。こいつはスゲー頭おかしいのが現れやがった。」


僕と森山さんの出会いはそんな感じで衝撃的でした。

それ以来リスペクトしています。



そういうわけで皆さんこんばんわ。真夜中の代弁者のび太です。


ところで梅雨ってもう明けたんですかね。

なんかベリー汗かきエブリディなんですけど。


シャツ背中スケスケ。


ほんと俺の背中ばっかり透けても誰も幸せにならない、透けるなら女子高生にしてくれ!って誰よりも自分が強く願うんですけど、まぁ願ってばかりじゃ仕方ないですからね。よし、バケツを手に水をぶっかけに一つ女性車両にでも乗り込みますか。僕が一肌脱ぎますか。


うん。どう考えても頭おかしい。

カニミソとかそういうレベルじゃないくらい脳みそがダメです。最近。


しかしこれでもしね、今はやりの「予告.in」とかに「頭のおかしい人が女性車両でバケツの水をぶっかける計画をしている」とか通報されてごらんなさい。



「違うんです!透けるなら女子高生の方がいいと思っただけなんです!」



うん。どう考えてもやっぱり頭おかしい。

言い逃れできない。




ブログみたいな公開した情報を発信している人間としては、無責任な発言は慎まなくてはならない。

ってことを、最近ニュースで「○○の予告で、逮捕!」みたいなことを聞くたびによく思います。


通報とかとはまたべつですが、やっぱり犯罪者の名前を引き合いに出したり、他人を誹謗中傷するのはイカン!と思うんですよ。




となるとですよ。


そういう角度からここまでの文章を読むともうホント自分で自分を抹消したくなる。




脱・税宣言!

じゃなくて

脱・人間宣言!


とかしたくなる。





そういうわけで、最大限の反省をしてですね。ひとつ書き直してみましょう。



森山直太郎さんっているじゃないですか。


桜唄う人。


唐突ですけど、あの人が昔すごく好きだったんですよ。

初めてあの歌声を聴いたときは衝撃を受けたものです。

切なさとかなんか色々混ぜた歌声。


凄い!


言うなれば、秋の夕暮れの中に佇む俺とお前と新垣、みたいな。結衣ね。

あのピュアな笑顔が僕の心の中のえもいわれぬ部分をくすぐるような。

もっとくすぐってくれ!と言いたい様な。


そのときの僕の内面を吐露すれば、そんな位置づけだったんです。

変態ですよね。


最初はレディオとかで聴いてただけだったんですよ。

でも聴いてると欲しくなるっていうか。

手元にないと不安になるっていうか。


「聴きたいときに、お前の声が聴けない。I LOVE YUI。」


みたいな、多少ばかり知能指数が低い人が言いそうな感情が芽生えてしまってですね。

ホントこの文章書いてるだけで自分が死ぬほど恥ずかしい。消えたい。ホンマに。


とにかく近所のCDショップで買おうとしたんですよ。


そしたら

【夕暮れの代弁者・森山直太郎】

とか書いてある。


「なんてこった。こいつはスゲー感性の持ち主が現れやがった。」


僕と森山さんの出会いはそんな感じで衝撃的でした。

それ以来リスペクトしています。
それ故に頭おかしいです。


いえ、もちろん森山さんは悪くありません。悪いのはノビであります。(カフカのナカタさんっぽく)


そういうわけで皆さんこんばんわ。真夜中の代弁者のび太です。


ところで梅雨ってもう明けたんですかね。

なんかベリー汗かきエブリディなんですけど。


シャツ背中スケスケ。


ほんと俺の背中ばっかり透けても誰も幸せにならない、透けるのは幽霊で十分だ!幽霊さん透けたまんま出てこないでください!って小学生のときから幽霊恐怖症の自分としては強く思うんですけど、まぁ思ってばかりじゃ仕方ないですからね。よし、お札を片手に水を墓石にぶっかけに一つお墓参りと洒落込みますか。僕が一肌脱ぎますか。

うん。どう考えても頭おかしい。

体が透けてるとか服が透けるのとはレベルが違う。

しかしこれでもしね、今はやりの「予告.in」とかに「頭のおかしい人がお札片手にお墓で墓石に無差別に水をぶっかける計画をしている」とか通報されてごらんなさい。

「違うんです!むしろ透けないで欲しいんです!」




うん。やっぱりどう考えても頭おかしいねこれは。暑いからね。仕方ないね。

どうにもならない。


皆さんも夏の暑さにはくれぐれもご用心を。


それでは。

三途の河でバタフライ

いやー、月日が立つのは早いものです。


いよいよ俺も社会人か。

とか思って部屋の方付けをしていたら、ベッドの下から昔買ったスニーカーの箱が出てきて。

「何入れてるんだろ?」とか思いながら開けてみる。


ボロボロのスニーカー。


あぁ、部活辞めて入れたんだ。うわー、こんなに使い込んで。

頑張ってたなぁ。俺。


溢れ出る懐かしい日々。

そうか。これが年を取るってことなんだな。

感慨に耽り、手が止まる。

あの頃はこれが俺の全てだったし、今の俺があるのもあのときがあったからだと思う。


…でも、捨ててしまおう。


持って行っても場所をとる。思い出だけあれば十分だ。

きっと数年前ならこんな風には思わなかったろう。

これも年を取ったってことなのかな。

へへ。


悲しいよな。

月日が立つのは早いもんだ。


ニュアンスとしてはまぁ大体そんな感じで、月日の流れる早さを身をもって実感してました。

あ、全部妄想です。

スニーカーが全ての学生てどんなやねん。


どうも皆さん、本当にお久しブリーフです。



「最近ブログ更新されない!死んだかな!ワクワク」

とか思っちゃってる猟奇的な読者の方には申し訳ないんですけど、まだ生きてました。


そんな簡単に死ねませんよ。


例えばですよ、僕が通り魔とかに後ろからゴツンとやられて頭がサイバイマンみたいになっちゃうとするじゃないですか。

そしたら昨今の風潮に合わせてですね。


朝の報道番組とかで(主に『スッキリ』とか)、被害者の野比さんのブログとかいってコレが世の中に流れちゃうかもしれないんですよ。


そんなことになってごらんなさい。

加藤さんが真面目な顔で「お久しブリーフ。ってテリーさんこれどう思います?」とか言っちゃうに決まってる。





二度死にたい!





三途の河で恥ずかしさのあまりバタフライとかするかも分からん。

迂闊に死ねませんよ。ホントに。


家がユニットバスだからって「あ、うっかりトイレの洗剤とお風呂の洗剤混ぜちゃった。てへ。」とかなんとかやってるうちに気付いたらバタフライですよ。


いやー迂闊に死ねない。

皆さんも気をつけてくださいね。






ところで、昨日は七夕とかいう日本古来の由緒正しい恋人達の記念日でしたね。


年に一回織姫様と彦星様が出会える夢の祭典。

もうロマンチシズムの極み。


小さい頃はよく短冊にお願いを書いて、天の川を眺めたものです。

親に「欲しいものとかなじゃくて、将来なりたいものを書くの」って強く言われたものです。


子供の頃ってなぜか夢や希望に溢れてるじゃないですか。

世間を知らないから可能性が無限に広がっているというか、なんでも頑張ればできる、なれるって思っている自分がいた。それが勉強をしていくと知識ばっかり深まって、気付いたらなりたいものじゃなくてなれるものを目指してる。あれ、いつからこんな自分になっちゃんたんだろう。へへ。つまんない人間になっちまったもんだぜ。

さて、今日もアダルトスパムを送りまくるとするか。


ホントそういう人間は滅亡して欲しい。



あと、織姫と彦星コスチュームプレイとか、短冊プレイとか、ミルキーウェイフィニッシュとかやってるカップルとか等しく絶滅して欲しい。






昨日はそんな風に世の中を憂いていました。

織姫とか彦星とかもうどうでもいい。

ロマンチシズムブレイク!とかいいながらカップルどもを粉砕したい。


そしたら一日たったらもう衝撃ですよ。


「田代まさしが出所」




彦星爆発。とかそんな感じです。

もしやいつの日か、本家の「お久しブリーフ」が聞けるんじゃないか。

どうしよう!

DVDレコーダー買わなきゃ!!







みたいにテンション上がってしまって久しぶりにブログを書いた次第です。

いやー一回休むと書き出すタイミングがね。

ナイスアシストマーシー。


しばらく休んじゃいましたけど、これからまたハンター×ハンターにヨロシクとかそういったニュアンスで更新していきます。



シクヨロ!